春はあけぼの、やうやう〜の始まりで有名な清少納言の『枕草子』だが、SNSで音だけ取って大喜利のようになっているのを見かける。私もよく元の意味など気にせず適当な文言を取ってつけてみたりして頭の中で一人遊んでいるが、今年は「やうやう視力落ちにけり」などと嘯いていた。なんせ視力がここ数年ほどで一気に落ちた。遠方が霞んでいるのはきっと春霞のせいじゃない。私の眼球が遠くの像を結べなくなったのである。加齢。むべなり。
かつては視力がとても良かった。落ちても1.5くらいあったのに、もはや今となってはその頃どれくらい自分の視界がクリアだったのかも思い出せない。ここ二年位で急に足を運ぶようになったライブ、二階席からなんて最前列でもとてもアーティストの顔なんて見えやしない。初めて演劇を観劇した時なんて席が舞台から遠かった上に劇場が暗いので全員のっぺらぼうに見えたし、映画ももはや細部はきっと霞んで見落としている。
別に日常生活では遠くが見えずとも大したことはない。狩もしないし、他人の顔など多少見えないくらいが互いに丁度いいだろう。こればかりは見えすぎると却って不便だ。とはいえこれまでわざわざ好きなもの(映画など)を観に行ってわざわざモザイクがかった世界を見ていたのかと思うとなかなか悔しいような気がする。自分が眼鏡を作る日が来ようとは思いもしなかったが、次にライブに行くまでには作ろうかな。見たいものはなるべくクリアに見たい。外せばぼやけるわけだし。
しかし、あまりにも急激に数年で視界が霞むようになったために、何か病ではないかとある日の夜中急に恐怖に襲われ、数日後念のため眼科へ行った。結果ただの視力低下だったわけだが、そこの看護師さんたちがワイワイ仕事していて楽しそうだったのが良かった。先生も始終穏やかな様子であった。さらに、私自身が眼科に行ったのもウン十年?ぶり位だったので新鮮だった。普段見ない設備を見るとつい周囲を眺め回してしまう。中でも視力検査用の眼鏡がなんだか造形が良かった。
今は眼鏡が無いので相変わらず遠くは霞んじゃいるが、間違いなく老化のせいでもあるが、帰り道で梅が咲いていたり、日差しが柔らかかったりで確実に春も来たのだと実感した今日この頃。
ここは約一年ぶりくらいの更新になってしまいましたが、相変わらずそれなりに暮らしています。