週、あるいは月報

氷の声/こんなに寒い冬の日は

昼間にろうそくを灯してちょうどいい明るさの日

先週少し春の兆しが…とか言ったのは誰だ。私だ。全然春じゃない。

きわめて寒い一週間だった。大寒波、この冬二回目である(確か)。

あまり雪に縁のない人生だったので、こんなに雪の降る冬はいつぶりだろうかと頭の中身を探る。暦の「大寒(だいかん)」の名前は伊達ではなかったというわけだ。

思えば毎年このくらいから二月頭くらいが一番年内で冷え込んでいた気がする。

ニ、三年くらい前だろうか、昼間に外でiPhoneを開いたら、雪こそ降らなかったものの、気温が氷点下だったが為に強制的に電源がシャットダウンしたことがあった。たしか同時に、既にマスク生活だったので口元からの蒸気でまつげがいつも濡れていたことも思い出す。

アラスカや北海道などではiPhoneは使えないのだろうか。それとも新しい今のiPhoneは厳しい気温にも耐えられるのかな。いつか宇宙空間でも普通に使えるようになったりするのだろうか。別に説明書や公式サイトを見れば、すぐわかるのかもしれないけれど、別に今すぐ知らなくてもいいかな。

そんなことを考えている。平和なことである。

クロッカスの芽、アサリにしか見えない

昨年末に迎えて育てているムスカリとクロッカスの球根は無事に根が生え芽も伸びてきた。

日々少しずつ着実に成長する姿、なんともいじらしいので世話も焼きたくなるというもの。水だけでじっと寒い中育つ球根の花というのは静かで素敵だ。

しかし初めてクロッカスを育てたが、芽の伸びた様を見てどうしてもアサリを思い出してしまう。アサリが顔を出したときの肉体?がこんな感じだった気がする。

きっと花が咲くころにはアサリではなくなっているだろう。多分。

記念撮影・経過観察

この写真の奥でネギのように伸びているのがムスカリ。あとはクロッカス。

我が家のちっさいものクラブ(この元ネタは確かおじゃる丸だったかな)で集合させておいた。

この球根を置いている部屋には冷暖房の設備がないため、今はしっかりと冷え込んでいる。花が咲くまではもう少し時間がかかるかもしれない。

花が咲くその日まで、ただ淡々と冷たい水を毎日入れ替え見守るばかりだ。

ところで、冒頭の写真は昼間の写真だが、ろうそくを灯してちょうどいいくらいの曇天だった。寒い日、そして昼間にろうそくを灯したのは人生で初めてだったけれど、たまにはこういう楽しみもあるのかもしれない。

最近特に思うけれど、何かしら目に見えて活動的であることと、ただ寒さをじっと耐え忍ぶことと、見え方ややっていることは違ってもそれぞれ質の違う豊かさがあるのかもしれない。

あらゆる豊かさを、自分や季節に合う形で取り入れてカスタマイズしていくのが一番幸せなことなのかもしれないな。

さて、なんとか週報を書き続けることができた。気づけば一月も終わりを迎える。次は月報でも書こうかな。あっという間の一か月だった。

こうして始めた記録、何気ないことしか書いていないけれど、いつか一年後、あるいは数年後には懐かしく読み返せると良いなと思う。

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