週、あるいは月報

水泉動/身体の横をかすめた正月

散歩で見つけた山茶花(たぶん)

週報の名のもとに一応一週間に一度どこかで更新することにしているので、一応今週はこの更新をしているからセーフ…なのか?たぶんセーフ。

旧暦的にはもうすぐ一通りの季節が終わる頃らしい。外を歩けば何かしら春の兆しが出ている。

花だったり、陽光だったり、気づけば冬至を越えて随分陽も長くなってきたし。とはいえまだまだ寒いのだけれど。

そんなことを考えながら昨年買った暦の本を家で捲っていると、年度を四月始まり三月終わりで一年を数えるのは何か暦と関係があるのか?などとふと思ったのでネットで調べてみる。年度初めの由来は年貢制度らしい。暦は特に関係ないようだった。

よく関係ないもの・事象同士を「なにか関係あったりするのかなぁ」と仮説立ててしまう。

こういう突飛な空想から色々派生するので、まあ人生全体で見るとそれなりに楽しくていいのだけれど。

遅れてやってきた私の正月

ということで最近旧暦について知るのが楽しいので週報も何かしら関連のあるタイトルをつけている。

今回は「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」。凍った泉で水が動き始める時期の意味らしい。凍った泉なるものを私は見たことが無いけれど、濁りと縁遠く、水がどこまでも甘く美味なのだろうなと思う。いつかそんな寒の水を口に含んでみたい。

上の写真は海なので泉とはかけ離れた水だけれど、本当によく澄んでいて、人間の営みなどつゆ知らず動き続けている。

その様をぼんやりと眺めていると、不思議と自分の内面が溶け出してどこまでも波に攫われているような心地になる。水にはなんとなく不思議な力があると思うけれど、昔の人もそういう水の力みたいなものを感じていたのかもしれないな。

まあ知らんけど。これもあてずっぽうの仮説未満の何かなので。

自分より遥か広く大きなものに触れる、囲まれる時間が自分には必要なんだなぁと改めて思った、人より随分と遅い正月休みだった。

そうやって色々と思ったことや感じたこともたくさんあったけれど、こうしてキーボードを叩くころには実態が掴めず胸の内で霧散している。消えた言葉もおぼろげな感覚も、いつかまた形を得るのだろうか。

今年の記録簿
Processed with VSCO with f2 preset

ところで、今年の手帳には鉄道手帳を使っている。

実はずっと使ってみたいと思っていたのだけれど、ずっと気に入っていたメーカーのものがあり、今まではそちらを選んでいた。

今回そのメーカーのものがピンとこなかったので、ついに手を出した次第。なかなかに質実剛健な感じで大変気に入っている。

ただ、日記以外に思ったことなどを書き留めるページが無い(メモページは別の用途でほとんど埋めてしまった)ので、サブでノートを準備した。こちらは万年筆でも書ける紙質のもの。

こうして何かを発信しようと思っていると、日々色々なことを思うのだけれど、意外と書こうとすると何書こうと思ってたか大体忘れてるんだよなぁ。

せめてこのノートと手帳が全て埋まるくらいには、今年は色々なことを書き留める習慣がつけられたらと思う。

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