気付けば師走の名の通り一瞬で十二月が去り、気づけば正月はとうに終わり小寒も過ぎていた。
一応週報あるいは月報なので、今週は何か記しておいた方がいいかなと思いこの日記を書いている。
昨年十二月から、久々に手帳に日記をつけるようになった。今のところこの習慣は一応続いていて、手帳が変わった今もなんとかやっている。
昨年の手帳を見返すと、十二月に至るまではほとんどが空白のページになっていた。それだけで、なんとなくこの一年色々とあったなという実感が沸く。日記をつけるという行為は、それなりに余力が無いとできないことだと思うので。SNSなどになると猶更のこと。
読書目録も一応長年の慣習で手帳に記すようにしているのだけれど、昨年は読んだ冊数にして十冊程度。途中でなんとなく読まなくなってそのままになっているものを含めればもっとあるけれど、目録には完読したものだけを記すようにしている。
映画は多分もう少し少なかったと思う。今手元で見返しているわけではないので、正確にはわからないけれど。
こういうことを書いた過去数年分の手帳を押し入れの中にしまっているが、これらをいつか見返すことはあるのだろうか。十年後になっても特に見返さないようだったら破棄してしまってもいいのかもしれない。
破棄で思い返すと、もっと昔の自分は、自分の生きてきた形跡が残るのが嫌で写真なども結構簡単に捨ててしまっている。
修学旅行の写真や、もっと気軽に撮ったもの、その他いろいろな思い出。ほとんどのものは手放したと思う。当時あまり自分のことが好きではなかった。
今の学生はきっとスマホで気軽に写真を撮ると思うのだけれど、膨大なデータをいつか整理したりすることはあるのだろうか。それとも、自分の歴史のことを皆大事にとっておいているのかな。
現在はデータなどでスペースを取らないので私自身も気軽になにかと昔に比べて写真を撮るようになったけれど、結局自分自身を写したもの自体は極めて少ない。
そういうこともあり、あまり写真慣れしておらず、いまだに映りの良い自分の写真というのは、写っている写真の中でもほとんど見当たらないまま大人になった。
いつか写真慣れする日は来るのだろうか。
自分の代わりに、こういう花だったり、好きなものをとにかく集めてみた部屋の記録だったりは本当にここ二年くらいで良く撮るようになった。
もちろん撮っていないささやかなこともたくさんある。日記にすら残していない断片も。
日記を書いていて良いなと思うのは、そういう記録にすら残らない自分の「いいな」と思ったことを一日の終わりに振り返って微笑ましく寝支度に入れることなのかも。
年末に空がきれいだなと思ったり、刺すような空気が澄んでいてよかったなとか。
そういう細やかなディテールが、いつかどこかで(例えばふかいちゃんの話などで)表現できれば良いなと思うし、そうできずに記憶の奥底に埋もれても、きっと忘れて消えてしまったわけではないと思うとそれだけで十分胸の温まるような心地にもなる気がする。
ということで、これからもできる限り、無理をしない程度の習慣として日記を続けていこうと思う。振り返ることがたとえなかったとしても、きっとこの営みには何かしらやってみて良かったなと思えることがあるように思うので。
あんまり自分のことを考える時間が長いのは良くない気がするので、一日のうちに日記を書く数分間で立ち返るくらいがちょうどいいのかもしれない。
ということで、どうぞ今後ともよろしくお願いします。